「織山さん」という推しについて

色んなお声をいただく中で(多くはプラスです、ありがとうございます)、私にとって推しとは何ぞやというのがいい加減気になってしょうがないのでまとめます。

備忘録みたいなものです。強要するものでも同意を集めるためのものでもありません。




アイドルとは


特定の人物に対して理想像を纏わせたり、自分の良いように解釈したり。これを一般人相手にするのは危なかったり人間関係にヒビを入れる原因になりかねませんが、ことアイドルに関してはこれが許容される稀有な存在だなと思っています。

もちろん本人に理想像や希望を押し付けたり、最悪直接こうした方がいいなんて言うのは論外だと思います。でも偶像を投影されるプロに対して「ありのまま」や「現実」を見ようとしすぎるのは逆にもうちょい夢見てもいいのでは?と思ったりします。


そして、人をわかりやすく幸せにするキラキラした人種だけがアイドルかというとそんなこともないはずです。

たまに織山さんに「アイドル向いてない」という感想を持つ方も見かけますが、そうじゃろかと思うんですよね。

たしかに常時キラキラはしてないかもしれないし、常時安定して笑ってるわけではないかもしれない。でも私の気のせいだけじゃなく多くの方が「これが織山」と思う、その偶像が崩れないの私はけっこうすごいと思うんです。




推しとの向き合い方について


前提として現実に一人の人間として存在している織山尚大は、そのまま私の推しというわけではありません。

私の方から見えやすい部分を私のやりやすい方法で可視化させていっているにすぎないので、本人とは少なからずズレがあって然るべきなのです。


わかりやすく言うと本人が原作及び原作者なら、私のは二次創作に描かれる該当キャラというのが一番ふさわしいでしょうね。

いくら解像度を高めようと、作者がどういう意図でそのキャラを描いているのか。またはこの台詞は大事だけどこの動作はそこまで意識してない、なんてこともあると思います。そこを埋めるのは不可能です。作者でないので。

二次創作に描かれるキャラクターたちは限りなく原作キャラに近く、ほとんど同じビジュアルで話し、予想される思考回路で物を考えるわけですが、決してオリジナルにはなり得ないのです。


さらに例えるなら国語における「筆者や登場人物の心情を答えなさい」に存在する模範解答()ですよね。本当にそうなのかもしれないしそうじゃないかもしれない、近いのか遠いのかは作者にしかわからない。直接聞いていない限り、語っていない限り、解答を作った人間も"限りなく近付ける"しかしようがないんです。

私の解釈が模範解答だとか言ってるんじゃないですよ、例えの話です。




解釈の暴走について


ある日急にスッと冷める時がありますよね。

私の場合は自分の解釈に基づいて作られた「二次創作」と「原作」の乖離が一定を越えた時です。これは二次元三次元問わず起こります。

言い換えれば「解釈違い」というやつなのですが、正直本人たちは思うまま人生や作品を残しているだけなので。

つまり私が気付かないうちに自分の理想の方に逸れていっているだけで、冷めるというより急に見失うのです。そしてある日突然、と思いたいだけで逸れていることには薄々気付いていることが多いです。

触りすぎてベタついてきたことに気付いたら、最近はその何者なのかもよくわからなくなってしまったもの、を可能な限り早めに放流するようにしています。




自分の解釈について


本来の織山さんは心配されたがりだし普通の人生を歩みたかったしダンスは苦しいだけだしジャニーズに居続けるは建前かもしれない。

でもそれは私の推しとは違うし、こればっかりは多くのオタクの解釈とも違うと思います。でも「そうかもしれない」可能性はゼロではないんですよ。逆に私や誰かの解釈が一致している可能性もまたゼロではありません。

でも仮に解釈が合っていたとしてもそれは確認のしようがありませんし、まあどうせ私の妄想だけどな!の予防線は常に必要だと思っています。


ただ私がそういう風に思っていても、受け取る側が本家について語ってるのか二次創作の方についてなのか判断するのはわりと難しいです。それは正直しょうがないと思いますし、私も誰かの解釈や感想を読む時はそこまで考えていません。

奇跡的にまだ「織山くんはそんなこと思っても考えてもないです、決めつけないでください」案件は来たことがないのですが、思ったことがある方はいるだろうなと。心の内に留めておいていただきありがとうございます。私もそう思います。


決めつけに見えたなら私の書き方が悪いしそれは申し訳ないんですが、本気で本人がそう考えてると思ってるわけではないですしわかるもんでもないです。

私が「わかる」と言うのは自分のフィルターを通した上での話なので、彼の意図通りに伝わっているとは限りません。

なんだってそうなのですが、お互いの齟齬なく「わかる」ためにはかなり細かいすり合わせが必要です。

そうでないなら自分が受け取り、自分が解釈したものに「わかる」と言っているだけにすぎないので、そもそもわかる確率なんて高くて当たり前なんですよね。


私の語る織山さんは、ふざけたりおちゃらけたり騒いだりはあんまりしないはずなんですよ。

でもそれは原作を読んだ時点で好みにそんなに引っかからなかった部分であって、そこが嫌いとかなくしてほしいというわけではありません。語っていないだけでちゃんといますよ。あまり触れないだけです。


本人から生み出されるものはぜんぶ原作だと思っています。素っぽい時も意味深なブログの時もキラキラアイドルの時も、どれが本当の彼なのか?なんて的外れな疑問であって、いや全部やろとしか言えません。

誰だって常に同じ状態ではなく、むしろ一定だったら怖いです。

いかに本人が本当の自分じゃないとまで言おうとも、オタクの虚妄とは一線を画していますよ。だって妄想じゃないので。逆に当事者は原作以外にはなれないんです。




私の解釈の傾向


大体の方が察していると思いますが、多少なりとも自分に投影してる部分はあると思います。どれだけしないように気をつけていても気のせいとか自意識過剰とか思おうとしても、どこかで重ね合わせてる部分があるのは事実ですし、してないと言ったら嘘になります。

織山さんに限らず、二次元三次元男女問わず、自分は推しに自己投影をしがちな傾向があるなというのは数年前に否定するのを諦めました。というのも、人物やキャラクターに対しては共感由来でないと興味が長続きしないらしいのです。

もちろん自分に重なる人間なんてほとんどいないのが当たり前なので、今までも解釈を大幅に逸らして脱輪、自然消滅の流れがお約束ルートになっていました。

ただ、織山さんに関してはそこの溝がほとんどなく(あくまでも私の二次創作上であって本人は知らないですが)、共感できる部分が歴代の推しの中ではトップレベルに多いなと思っています。




私との解釈違いについて


これもまたよく言う話ですが、同じ日本語でも使ってる言語が違うことがあります。

こいつ何言ってるかわからんな、と思う方がいても当然だと思いますし、逆に何言ってるかわからんと言われてもそうですかとしか返せません。

私の中では理解していて、ごく一部であっても理解してくださる方がいるならそれでいいです。

万人に伝わる言語を話すのは難しいですし、私はその言語で織山さんを説明できないです。


リアルと違ってSNSというのは見たくない人間を物理的に見ないことが可能ですので、私を無理だなと思った時点でシャットアウトしてくださると大変助かります。

これも言いがちなのですが、二次創作のイメージが原作に付くことは私の本意ではありません。




最後に


何をどう言おうが、言い訳に聞こえる方も違和感を持つ方もいると思います。結局自分のいいようにこねくり回してるだけじゃんと。

私もこれが正しい楽しみ方かどうかはわからないのですが、少なくとも織山さん(原作者)の想定する色んな

楽しみ方の一つから逸れてはいないんじゃないかなと思っています。作品の解釈については特にです。


原作を飛び越えた解釈をすることがあっても、原作者へのリスペクトはいつだって持っていますよ。

原作がなければ二次創作はできません。織山さんがそもそもいなければ、共感もできないしわかることもできない。救われることもできない。

どんなに都合のいい解釈をしようと勝手にわかろうと、原作者の織山尚大を忘れることはないです。

パフォーマンスから人に興味を持つことは私の中ではかなり稀で、そればっかりは原作以外で代替物を用意することはできない。いつだって取りに行かないといけない。

それが楽しい。離れられない。目が離せない。


「考える」を許してくれる君が好きです。


以上です。


2021.8.29