空想科学劇『Kappa』東京公演を終えて-織山のオタクの愉快な一週間-

感想本編後ろにくっつけていたうるせえオタク語りが際限なく伸びていくので隔離です。さすがに。


※個人の解釈であり、織山さんの人間性および性格、考えていたことを断定する意図はございません。



◆6/5観劇、ブログ後

◆6/12夜公演後

◆6/13千穐楽

◆観劇を終えて






◆6/5観劇、ブログ後


ハマり役だなって思いましたよね。私も思いました。それはそう。なんなら本人も言ってる。ただリンクしすぎてて大丈夫?とはなった。

初日の終幕後に公開されたブログ、織山尚大が言ってるのか第23号が言ってるのか混ざってんのかわからなかったんですよね。一般的な平和も幸福も停滞にしかならない、自分はそこにはいられないっていう覚悟と痛みに打ちのめされました。


でも今までの言動を省みると、ただ向上心がバキバキに高いポジティブな意識高い系ってわけではないんですよね。痛覚はむしろ人並み以上で、それでも歩くのをやめないからずっと傷だらけでずっと痛がってるような気がする。


でも、彼はその先にある楽しさを知ってしまってるんですよ。これ以上ないくらい詰め込んで精密に積み上げて、それが本番で爆発するその楽しさ。舞台に一緒にいる人間と溶け合う感覚。息をするのも忘れて観ている客と独特の張り詰めた空気と。やり直しが効かない、一回きりの、何度も踏んだ道を最高速で駆け抜けていく。どうしようもなく湧き上がる行き場のない高揚感を。いつだったか生きてるって感じがすると語ったその言葉通りに。

今回だと一番はマッグの歌とバッグのトランペットのシーンかな。あー今めっちゃ推し、生きてるって思いました。


彼にとっては痛みも苦しみも含めて生であって、それは必要なものでしかない。でも辛い時は辛いし体にも出て、ボロボロになって、でも楽しいんだと。客席と舞台と、一緒になって磨いていくのが喜びだと。

のっぺりした幸せに追いつかれないように必死に走っているような。痛がるくせに自身の平和や幸福を躊躇する。


インタビューで彼は第23号は自分自身だと言ったけれど彼の周りには似た人が多い気がするし、そのへんの価値観が違ったとしても理解者はいる。第23号よりはきっと孤独ではない気はしている。

でも河童の国に帰りたいと泣く彼は、全てに疲れて一歩も動けない、極限に孤独な人間そのものだった。

あれ、出るもんなんですかね。その辺のもはや感情かどうかもわからない痛みを、実体験として知らなくてああ泣けるもんなんですかね。千穐楽絶対泣くが私。無理だもんあんなの。

バッグが迎えに来てくれる度に第23号を通して織山さん自身が救われてたらいいなと思います。そう思うしかない。

仮に同じことの繰り返しで何度彼が絶望したってあの瞬間に彼が救われたことは確かだし、バッグを追って退場する時の笑顔は心の底から安心した顔だった。


いやほんと幸せになってくれ。削った命はこっちで勝手に拾って一喜一憂しておくので、いや今ご本人のせいでめっちゃしんどいけど一応楽しさも喜びもそれ以上にあるから。

表現というものへの誠実さ。真摯に情熱をもって傷つきながら進んでいく。その辺の不器用さとか融通の効かなさ、手を抜けないズルもできない。でも、だからオタクは織山尚大から目が離せないんですよ。

まじ、推すなら今。


とりあえず織山さんがしんどすぎる、親指立てて溶鉱炉に沈んでやろうかって気分だわ。


Kappaっていう舞台自体もまた言うまでもなく最高ですよ。

河童たちは人間より人間味があって憎めなくて魅力的。音楽も最高オブ最高。演出はもちろんドストライク。小気味のいいテンポ感と鷲掴みにされて揺さぶられる感情と。

残りも噛み締めます。最高です。再演しません??




◆6/12夜公演後


あのー、とんでもねえぞ。織山尚大ほんととんでもねえ。

終幕後にTwitterにぴゃーって書き殴ったのが以下となるのですが



大変きびしんどいが織山さんに沼落ちしてからずっと見たかったものを見られたような気がする。コントロールの範囲外、人として踏み越えてはいけない線をぎりぎり越えてた。出ちゃいけないものが出ていた。なんかこう、魂的なものが。命ってこうやって削るんだなと。



ほんとにこれなんですよ。今まで命削ってるって言っても限度はぎりぎりあって、多分やばいラインは超えてなかったんですよ。

白衣を脱いで踊りだして昼よりだいぶ飛ばしてんなと思ったのですが、まさか意識まで飛ばしかけると思わないじゃないですか。

舞台上でこんな倒れ方したの初めてじゃないですかね。曲の最初から今までで1,2を争うほど気合が入っていて、振りも場所も少しずつ違い、立ち位置からよろけて後ろのハコに手をついて。立った反動で踏ん張れず前に倒れたという感じで。

本気で仕様か事故かわからなかったしとりあえず呼吸を確認するなどしました。そこからよろよろ立ち上がって前を向いた時にはもう登山に出かけた青年の顔をしていました。


23号を表現しているというよりは、舞台の上で後悔をしたくないという強い思いだけで踊っているような。今回の舞台は今回しかできない。もうここで何か切れてしまってもいい、それよりもやり残したくないという気持ちなのか思いなのか、本能なのか。


夜公演は、織山さんの統制下に役があって上手く乗り移らせているというより、第23号が動かない演者の体を動かしているような感覚さえしました。

限界はとっくに超えているけれど、彼の中に形作られた第23号の骨格がかろうじて体を動かしているような。

意識もはっきりしていたのかよくわからず、表情は作って台詞も聞き取れはするのですが、どこかなぞっているだけで目もうつろだった気がします。

手を抜いているとかいうことでは全くなくて、もう倒れる一歩手前なのを第23号自身が場を繋いでいるような印象でした。


カーテンコールでも最後までなかなか笑顔の浮かぶタイミングがなくて、ぎりぎりで立って動いている感じでしたね。限界なのか終わりが近づいて寂しいのかまでは本人でないのでわかりませんが。


無音はちょっともう言えることないです。しんどすぎて泣けもしませんでした。

仮面の話を6/9時点でちらっとしているのですが、変更後の振りだと今まで外してきた仮面を付け直して飲み込むけど、自身が拒絶して吐き戻すという感じですね。何者にもなれない孤独感を正面から(正面ではないけど)食らって、息を潜めることしかできませんでした。

希望は幻としてしか現れず、神かもわからないものに懇願して、でも無駄で。前にも進めない、元にも戻れない。ただ帰りたい。

いやまじ誰だよハッピーになってほしいとか言ったやつ。


千穐楽逝ってきます。




◆6/13千穐楽


「知ってる」織山さんだった。魂ちゃんとあった。よかった。

織山尚大と第23号が互いを支え合ってるようで、間違いなく東京公演のベストだったと思う。何度も通った道を、ベストを更新しながらなぞっていく。

いや怖いけどほんと楽しかっただろうなと。緊張感がすごかった。全員の集中力で空気が締まっていて、そこから生まれる隙のない余裕からアドリブもたくさんあって。


カテコでの挨拶は、知ってたって感じですね。うん知ってるだから好きなんだよって。

よく織山さん楽しそうって言ってしまうんだけどそれは楽しいだけじゃないんですよね。なんかあの、苦しさとか焦りとかプレッシャーとか全部乗っかった状態で出てくる純度100%の楽しさってあるじゃないですか。ウワッ今めっちゃ楽しい、みたいなやつ。

びびったら負けだと投げやりではなくジャストなタイミングで飛び込み続けて、その集中してる感じと絶対日常で使わない器官が動いてる感じ。

それを知っているからこそ、死にたくなったってそれを舞台の上に持っていけるし緊張が緊張で終わらない。


今回死にたくなったっていうのは主演っていう立場、出ずっぱりな役どころっていうのともう一つ。役が第23号だったからっていうのが大きかったんだろうなと。

織山さんって役に対する解像度がめちゃくちゃ高くて、わかりづらい見えづらい人間でも端から噛み砕いて意識を浸透させてしまうんですよね。やわやわにして入り込んでいるというか。

自分の方に合わせてるんじゃなくて、ちょうどいい真ん中を探ってそこに馴染ませていく。


それで今回は第23号、さらに言えば晩年の芥川龍之介にそれをしていたわけで、そりゃメンタルが平常なまま生活はできないですよ。それはそう、当たり前。

経験してなくてできるもんなのかと思ってたけど、その入り込みと同調と多分ほんの少しの実体験であれを降ろしてしまった。いや、怖いよほんと。

織山さんがちょっと自制心ポイしたら取り返しつかないところまで行くことはありえなくないし、実際12日夜にちょっと線越えてたし。

人の不安や絶望、孤独を一人で抱え込んで、いやそんな人間に安眠できないんですとか言われてもせやろなとしか返せないわ。


睡眠不足も体力の限界も痛みも本当にきつかっただろうなと思うけど、だからこそ今日の客席と最後のどでかい拍手が本当の意味でこの舞台を「楽しかった」にしてくれたと思います。素晴らしい仕上げでした。

ちょっと運動不足の腕の筋肉がだいぶ悲鳴あげてたけど、私もクソデカ拍手送れて良かったなって思います。


第23号を織山さんに戻したのは客だったよちゃんと。どれだけきつくてもこうやって戻ってくる場所があるから立てるんだよ。だからオタクもどれだけ織山担苦しくてもちゃんと頑張れ。支えるんだあのとんでもない存在を。正面から見て、負けるな。オタクならできる。

織山さんは強いよ。内側にはやわやわに弱ってるところも多分あるけど、本人はギリギリでそこを守る方法を知ってる。だから守りに行かなくてもいい。

ただアイドルの織山さんの帰る場所であってほしい。

アイドルは偶像だけど神じゃない。絶対に一人にしてはいけないんだ。


本日ラスト、Smileがかかってバッグが捌けて。

後を追った第23号は恐らく笑っていませんでした。

ああ、まだ河童の国には行かない気なんだなと思って。あの瞬間だけは織山さんだった気がします。




◆観劇を終えて


いやとにかく楽しかったですね。

ハッピーとかどの口が、とずっと思ってたけどめちゃくちゃ楽しかったです。ハッピーと楽しいは別ですよ。

正直河童初日週、昔の嫌なこと散々思い出してメンタルがふあっふあだったのですが吹っ飛ばされましたね。

とにかくこういうエンタメとしても楽しめて、頭ごりごりに使って考える余白もある舞台で本当に良かったです。好きなやつじゃん!!!!でした。好きです。


青木さんも初舞台とは全然思えなくて。めちゃくちゃ河童だったし、あの主演と俳優さんに囲まれて呑まれることもなくむしろ存在感を残していたのが印象的でした。

毎回演奏する曲やアレンジを変えたり、あの濃っっっい舞台の中で青木さんの存在が本当に癒しでしたね。あっぱれ。ブラボー。かわいい。


織山さんに関しては、基本的に自分が思ってる推しの姿と本当の彼は別物だと思っていますし、そうで然るべきだと考えています。いますが。

織山さんってこうなんだろうな、がだいたいそうで困るんですよね。たまには違ってくれないと頭おかしくなりそうです。勝手に理想を詰め込んでるだけなのにそれが反映されていく怖さというか。


もしも織山さんが本当に私の思ってる通りの人間だとしたら今の傾向はちょっと不安なんですよね。そうなっても困るのでそこに関しては語りませんが。

だからこそ織山さんはアイドルであってほしい。深く深く囚われそうなもの以外にもたくさん足場を作って、表現を長く続けてほしいんですよ。

他の仕事では作り得ない大量のファンを、バランスよく逃げ場とプレッシャーにして上手いことやっていってほしい。切実に。


自分にそこまで信用がないので、正直いつまで織山さんの方を向いているかはわかりません。ずっとかもしれないしそうじゃないかもしれない。

でも、今はとにかく目が離せないですね。そして仮にいつか離れることになったとしても、あらゆる彼の姿を決して忘れることはないと思います。


生きることを誰よりも知っていて、終わりがあることをわかっている。その何のフィルターも通さないクリアな世界が怖くて綺麗で、少しだけ羨ましくもあり。

推しとか担当以上に興味深く、観察をやめることができない。面白くて楽しい。

それが詰まった舞台でした。一片の悔いなし。


2021.6.13